
京都 · まちガイド清水寺・祇園・東山
ひとことで
石畳の坂と花街の小路。早朝と夕暮れは、ほぼ貸し切り。
清水の舞台、八坂神社の朱、二年坂・三年坂の石畳、そして格子の続く祇園の花街——「これぞ京都」という風景が、東山の山裾にぎゅっと集まっています。このエリアに泊まる最大の利点は、人が引けた朝と夕方に歩けること。日中は人波でいっぱいの石畳の坂も、早朝や日暮れは驚くほど静か。その時間の東山を歩けるのは、近くに泊まる人だけの特権です。
まちの個性
1日コース
混む前にめぐるコース
おすすめルートです。お出かけ前に開館日をご確認ください。
- 1朝
ねねの道
ねねが1606年に秀吉のために建てた高台寺のそばの石畳を歩きましょう。電線が地中化されているので、すっきりとした景色です。
人力車が走り出す前に行きましょう。 - 2昼前
八坂の塔と二年坂
高さ46メートルの五重塔は、応仁の乱を生き延びたこの寺唯一の建物です。石畳の坂の上にそびえる姿は、東山を代表する撮影スポットです。
- 3午後
清水寺
「清水の舞台」は139本のケヤキの柱に支えられた高さ約13メートルの舞台で、釘は一本も使われていません。下を流れる音羽の滝が寺名の由来です。
三筋の水のご利益の話は俗説です。ひと口だけ飲みましょう。 - 4夕暮れどき
八坂神社
全国の八坂神社の総本社で、祇園祭で知られます。本殿は2020年に国宝に指定されました。
- 5夕方
祇園・白川・花見小路
観光客が引き上げたあと、格子から灯りがこぼれる白川沿いのお茶屋の小路を歩いてみましょう。
四条通の南が花街、北が歓楽街です。
ここだけの体験
初めての人が驚くこと
読みもの
このまちの成り立ち
清水の舞台——139本のケヤキが支える、釘のない懸造り
清水寺の創建は778年(宝亀9年)と伝わります。修行者が音羽山で金色の水の流れをたどり、観音の化身とされる行者に出会い、残された霊木に千手観音を刻んだのが始まり。のちに鹿を追ってこの山に入った武将坂上田村麻呂が寺を寄進し、音羽の滝の清らかさから「清水寺」と名づけられたと伝わります。
誰もが知る清水の舞台は、徳川家光の寄進で寛永10年(1633年)に再建された本堂の一部で、国宝です。特筆すべきは、その構造。139本のケヤキの柱が舞台を支え、釘を一切使わずに組み上げられた「懸造り(かけづくり)」で、舞台の高さは約13メートル、およそ4階建てのビルに相当します。斜面にせり出したこの舞台が、釘なしで400年近く立ち続けているわけです。
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉も、ここから来ています。江戸時代には実際に願掛けで飛び降りる人がいて、記録も残るほどでした(現在はもちろん禁止されています)。清水寺は世界遺産「古都京都の文化財」の一つです。
音羽の滝——寺の名の由来、その三筋の「ご利益」は諸説
清水寺の名の由来になったのが、境内の音羽の滝です。三本の筧(かけひ)から清水が落ち、参拝者が柄杓で受けて口にします。
この三筋について、「向かって左が学業、真ん中が恋愛、右が延命長寿」といった説明を見かけますが、これは清水寺の公式見解ではありません。お寺が説くのは「六根清浄・所願成就」であって、三筋にそれぞれ別のご利益を割り当てる話は、あくまで俗説です。しかも、どの筋がどのご利益かは資料によってまちまちで、定まっていません。
つまり「三つとも欲張って飲むとご利益が消える」といった言い伝えも含めて、これらは諸説あるものと受け止めるのが正確です。せっかくの滝の水ですから、割り当てにこだわりすぎず、心を澄ませて一口いただくのがよいのでしょう。
二年坂・三年坂と八坂神社——石畳と朱の東山
清水寺から八坂神社へ抜ける道が、二年坂・三年坂(産寧坂)です。一帯は産寧坂伝統的建造物群保存地区として国に選定され、京町家の家並みが石畳とともに守られています。京都市内の重伝建でも最も早い時期に選ばれた地区の一つです。
坂の名の由来は、実は完全に諸説です。三年坂(産寧坂)は「子安観音へ産(さん)が寧(やす)かれと祈る坂」だからという説が有力ですが、「再念坂」説や「大同3年(808年)にできた」説もあります。二年坂も「大同2年(807年)整備」説など諸説。「転ぶと2年(3年)で死ぬ」という俗説も広まっていますが、これはもともと別の土地の言い伝えで、京都の坂と直結する根拠ははっきりしません。俗説として楽しむのがよさそうです。
坂を下りきった先にあるのが八坂神社。全国の八坂神社の総本社で、主祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)。創建には656年説と876年説があり、公式には特定せず「平安京遷都以前」とされます。明治より前は「祇園社」と呼ばれ、祇園祭はこの社の祭礼です。本殿は2020年12月に国宝に指定された、比較的新しい「格上げ」の社でもあります。
八坂の塔と高台寺——東山のシルエットと、ねねの祈り
二年坂の上、東山の空にすっと立つ五重塔が八坂の塔。正式には法観寺(ほうかんじ)という寺で、聖徳太子が建てたとも伝えられる(諸説あります)、京都でも指折りの古い塔です。高さ46メートルの五重塔は、応仁の乱で他の建物がすべて焼けたなかを、この塔だけが生き残りました。いま建つのは永享12年(1440年)、足利義教が再建したもの。石畳の坂の向こうに塔がのぞく構図は、東山でもっとも写真に撮られる一枚です。
その八坂の塔の北に、高台寺(こうだいじ)があります。慶長11年(1606年)、豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が、亡き夫の菩提を弔うために建てた寺です。秀吉の死後、ねねは出家して高台院と名乗りました。
高台寺の西側を通る石畳がねねの道。晩年のねねが、住まいだった圓徳院から高台寺へ毎日通ったことにちなむ名です。電線を地中に埋めて景観を整えた道で、人力車が行き交い、着物姿の人が歩きます。宿がこのエリアにあれば、朝いちばんのねねの道を、人力車もまだ出ていない静けさの中で歩けます。
祇園——水茶屋から始まった、花街の三百年
八坂神社の門前町として広がったのが祇園です。地名は八坂神社の旧称「祇園社」に由来します。四条通を境に、南はお茶屋の続く花街、北は歓楽街と、表情が分かれます。
花街としての祇園の始まりは、寛永年間(1624〜45年)、八坂神社の門前に水茶屋が立ったことにさかのぼります。享保17年(1732年)に茶屋営業の許可が下り、街として整いました。明治5年(1872年)には祇園甲部歌舞会が設立され、春の舞踊公演「都をどり」が始まります。花見小路の一帯は、歴史的な風景を守る特別な地区に指定されています。
祇園を流れる白川は、川底の花崗岩が白い砂に見えることから名づけられたと伝わります。祇園新橋の一帯も伝統的建造物群保存地区で、洗練されたお茶屋建築が、白川の流れと石畳、桜並木とともに残ります。このエリアに泊まれば、観光客が去った夜の祇園を、静かに歩けます。 格子から漏れる灯りと石畳の東山は、昼とはまったく別の顔をしています。
アクセス
移動のしかた
| 清水寺 | 京阪「清水五条」駅、または市バスで清水道・五条坂へ |
| 祇園・八坂神社 | 京阪「祇園四条」駅・阪急「京都河原町」駅から徒歩 |
| 京都駅 | 市バス、またはJR・京阪で乗り継ぎ |
| 嵐山 | 阪急「京都河原町」から桂乗り換えで阪急嵐山へ |
| 大阪(淀屋橋・なんば) | 京阪・阪急で乗り換えなし |
| 伏見稲荷 | 京阪本線で数駅、乗り換えなし |
東山エリアは京阪「祇園四条」「清水五条」と阪急「京都河原町」が近く、大阪へも京阪・阪急で乗り換えなしで出られます。観光地の中心に泊まるぶん、朝いちばんや夕暮れの、人が少ない時間帯の東山を歩けるのが最大の利点です。
ここに泊まる
清水寺・祇園・東山の宿
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よくある質問
清水寺や祇園まで歩けますか?
このエリアのお部屋の多くは、清水寺・八坂神社・祇園まで徒歩、または最寄駅から近い立地です。お部屋ごとの最寄駅と徒歩分数は各ページに記載しています。
混雑を避けて観光できますか?
日中は人が多い東山も、早朝や夕暮れは比較的静かです。近くに泊まると、その時間帯に石畳の坂を歩きやすいのが利点です。各寺社の拝観時間は公式情報をご確認ください。
京都駅からは行きやすいですか?
京都駅から市バスやJR・京阪で東山方面へアクセスできます。お部屋までの経路はご予約後にご案内します。
大阪への日帰りはしやすいですか?
京阪「祇園四条」や阪急「京都河原町」から、大阪(淀屋橋・なんば)へ乗り換えなしで出られます。
夜は静かですか?
祇園の中心は夜も人がいますが、一本入った路地や東山の住宅街は静かです。落ち着いて過ごしたい方は、そうした立地のお部屋をお選びください。
何名まで泊まれますか?
お部屋によって異なります。人数で絞り込んでお探しいただけます。京町家を一棟貸しするお部屋もあります。
キッチンはついていますか?
お部屋によって異なります。一棟貸しの町家ではキッチン付きのお部屋があります。設備は各お部屋のページでご確認ください。
荷物を預けられますか?
チェックイン前・チェックアウト後のお荷物の取り扱いはお部屋ごとに異なります。ご予約後にお送りするご案内をご確認ください。